そこは、夜も更けたアバロンの一室だった。
クラックスと共に資料の整理をしているとおぼしき皇帝がそこにいた。
筆の音のみが響く沈黙を一人の伝令兵が破った…。
「陛下!タウラス様がお戻りになりました!」
「そう。通して。」入ってきたのは青緑色の髪に、落ち着いた茶色のローブを纏った、柔和な優男だった。
彼は儀礼的に頭を下げると、外観に違わぬ柔らかい声で話した…。
「陛下、ただ今戻りました。」
「御苦労様。浮遊城の様子の方はどうでしたか?」
「はい。浮遊城は未だに街を侵略する様子は見られません。
上空にあるときは流石に皆大事に備えて避難していますが、今のところ被害はないようです。」
皇帝の横にいたソウジが胸をなで下ろした。
「そう…では一行に動く気配はないのね?」
「はい。それと…イーリスたちから非常に興味深い情報を入手しました。」
チカパ山。イーリスの住処まで魔物の驚異以外にはさしたる障害がないとはいえ…。
「チカパまで行ったの!?」
「いえ、負傷して街まで降りてきた方の話です。どうもチカパの向こう側の監視が激しいとか。
ヤウダ方面は顔を出す程度なら被害もなく、最近は街に降りてくるイーリスも珍しくないとか…。」
資料整理を終えたクラックスが、ここでやっと口を開く。
「しかし、その向こう側に行こうとしたら…か。」
「確か…あの向こうにも街があるって行っていたわね…何か関係があるのかしら…?」
「…ソウジも…気が気でないでしょうに…。」
「焦っても仕方ありませんよ。」
ソウジが笑って返す。それに、気遣いが入っていることは明白だった。
そんな会話の中、タウラスと呼ばれた男がそわそわしていた理由を見るのは、その翌日のこと。
そんな会話があったことを知るのは、もっとずっと…あとの事だった…。
カリカリカリカリ、モールの仕事。元が地中暮らしじゃしょうがない。
ふわふわふわふわ、イーリスの羽。抜けたの集めて詰めて枕でも。
パリパリパリパリ奇妙な感覚。同居者二人気付いてない。
パリパリピリピリ痛い感覚。こればっかりは…我慢ならん。
と…言うわけで…サジタリウス君は最近寝不足気味。
外にいるときはどうと言うこともないのだがどうも就寝時間になるとパリパリ来る。
新しい環境になれていないのだろうと自分に言い聞かせつつも、
静電気とは明らかに違う感覚は回避策が見えず、そのまま今日に至る。
昨日リオルと散歩をしていたらソウジより顔色が悪いと言われた。
流石にこれを聞いたときにはさらに顔色が青くなったのは言うまでもない…。
そして…今向かっているのはインペリアルガード隊長ハンニバルの邸宅。
ちなみに、このハンニバルとはマールバラの兄である。
リオルがアバロンに行きたいと言ったときに、
ティルピッツと仲の良かったハンニバルがリオルを引き取ると言うことになったそうな。
と、言うわけで、ここにはリオルに会いに来たわけだが…。
彼はマールバラに稽古を付けて貰っている真っ最中だった。
邪魔しては悪いので木陰から見守る…ふと思った。
まるでスポコン漫画のヒロインだな自分…。
リオルとマール。対等に見えるのはマールが加減しているからなのかそれとも…。
「あ〜こりゃマール押されてるわね…。」
後ろにいたのは…クリームヒルト陛下だった。
「じゃあ…。」
「ん〜…まだマールの方が上だけどねぇ…手加減して相手をするにはちょっと辛い相手ね。
手加減して相手をすると押されるし全力だと稽古にならない…微妙なところねぇ…。」
リオルの剣が動いた。持っていたのはあの大剣ではなかったのが少し残念だった。
剣と槍が離れたとき、マールが一瞬困惑の表情を見せた。
「あっ…マール読み違えた!」
「えっ…?」
確かに、マールの槍はリオルの剣閃とは的はずれの場所に、リオルが勝った、そう思った。
キィンッ!
次の瞬間には大剣が高く宙を飛び、僕等が居る方とは反対側に落ちた。
「…はぁ……凄いね…。」
「彼…結構筋が良いわね…。」
「…邪魔しちゃ悪いね…。」
「そうね…じゃあ…サジタ…ん?」
陛下がこっち見て固まった。それもそのはず…今の顔色、ソウジより悪い。
「…大丈夫?」
「いえ…ただの寝不足…そう言えば…陛下は散歩?」
その時、陛下がニカッと笑った。これでますます年が解らなくなる。
「んふふ〜今日からクラックスが二日三日アバロン空けるのよねぇ〜♪」
鼻歌混じりに語る陛下。よっぽど嬉しいらしい。だけどその背後には…。
「ま、精々羽を伸ばしといてくださいね。陛下。」
クラックスが居た…今回は挨拶だけで終わった…ちぇ。
「ゆっくり静養してきなさいよ。」
「早く帰れるよう努めます。」
その時、僕は正直驚いた。クラックスが…僅かに笑った…ああ…あの人も笑うんだ…。
二人してクラックスを見送った。その陛下の顔色は、何処か優れなかった。
その理由も、クラックスが何処へ向かったのかも、僕はやがて…知ることになる…。
「で、その顔色はどうしたの?」
あの感覚は慣れぬ環境から来る物ではあるまい。我慢なんてしていたら身が持ちそうにない。
だから話した。同じ家に住んでいるのに僕だけが感じる奇妙な感覚のことを…そしたら。
「ねぇ…ちょっと術教えてあげようか?」
「ほへ?」
あまりに突然の事だった。僕みたいな子供にいきなり…どういうつもりなのかと思ったの…だけど。
連れてこられたのは人気のない広場。渡されたのは術法を用いるための媒体。
シンプルで小さな護符。懐に入れても差し障り無いほどの。
僕はその使い方を知っていた。それを察してか、陛下は満足げに微笑む。
「それに集中して、手元に何か感じたらその手をヒュッと動かしてみて。」
「…は、はい。」
「緊張しないで、体の力を抜いてね。」
僕の背が小さいから、陛下が後ろにかがみ込んで肩を支える。
これでは緊張するなという方が無理だ。
術の方は、すぐに解った。それに集中すると、手の周囲を風が巡るようなイメージが浮かび、
自分の意志だけでそのイメージを現実まで引っ張る…そして…。
幾筋の風が吹いたように思えた。しかし、それがただの風でないことは、
いくつもの欠片になった、本来は射的に用いられるはずの的が示していた。
「僕が…やった…できた。」
あの時魔物に襲われなかったら、僕がもう少し冷めてしまう前であれば、
跳ね上がって陛下に抱きついて喜ぶところだったのだろう。だけど…
次の瞬間にはアバロンの街を駆け抜ける陛下に抱えられているところだった。
これでは例え僕がどんなにノリが軽かろうと喜ぶ暇すらない。
時々急ブレーキを掛けては誰かを捜す陛下。術法研究所、大学、
宮廷魔術士の詰め所(この時は王宮には入れたと感動するどころではなかった。)、
いろんな所かけずり回り、着いたのは新市街地区の入り口だった…。
その先には、青緑色の髪をした…服装からしてクラックスと同じ宮廷魔術士と、
僕と一緒に住んでいるイーリス…エアの姿があった。
人間の街の習わしに従って飛行の妨げにならぬ薄布を纏う姿は青い羽根の天使を連想させる。
陛下は術士の名を言おうとしたが、エアの姿が見えた時点で口をつぐみ、木陰に隠れた。
二人の会話は、決して軽い物ではなかったからだ…。
「エア、久しぶり。13年ぶり…でしょうか…ナディールは?
ゲイルやスカイア達からは何も聞けなくて…。」
ナディール。その名を認めて、エアは涙した。
「姉さんは………亡くなったわ…。」
「……え……?」
術師の表情が、酷く困惑していたのが解る。そばにいてやれなかった。そんな顔だった…。
「…タウラス…。」
酷く哀しげな陛下の声が、その術士の名を紡ぐ。
「どうして…。」
「あれからすぐよ…姉さん…貴方を追って行ったの…姉さんには…姉さんにはね…。」
泣き崩れそうなエアの肩を支えるタウラス。あれ…13年って言って…幾つだあの人?
「ナディールには…何だ?おい…。」
口調は押さえられていたが…焦っていることは明白だった。
僕等が、声が聞こえるほど近くにいても、気付かないのだから…。
「姉さんには…子供が居たのよ…」
「…へ…………?」
これには…タウラスはもとより陛下も目を丸くしたというか驚いたというか…。
「ま…まままま…まさか…。」
あー、焦ってる焦ってる。もう相手が即予想着くよなぁ…。
「しらばっくれるつもりじゃあ無いですわよね?」(注:イーリス皇帝時口調ワイルド系女性)
やっぱり…僕も陛下も心中で同時にそう呟いた。でも陛下は…。
「やっぱりそう言う関係になっていたのね…。」
うーん…大人の世界は奥が深い…。
「………で…その子は…。」
「解らないの…私が姉さんを追って…見つけたときには居なかったわ…。」
「…そん…な…。」
タウラスが…崩れ落ちた。泣いてた。羽音が遠ざかった。エアは行ったようだ…。
「…こりゃあ…今日は止めておいた方が良いかしらね…。」
陛下がそう言った時点でやっと下ろされた…(つまり今までずっと抱えられていた状態だった)
そうして、僕等が立ち去ろうとした時…。
「…陛下、私に用事があるのではないのですか?」
呼び止められた。声にはもう…本当に一瞬前まで泣いていた気配はなかった。
顔を見ても肌が弱いのか涙の跡が赤く腫れている以外に泣いた形跡は見つからなかった。
「え…ええ。でも良いの?」
「ええ、何かしていた方が気が紛れますから。それに…ねぇ…何時までも泣いていたら…
顔向けできませんよ。エアや、ナディールに…。」
で…僕はまた術を撃つことになった。
でも、薄々感づいてはいた。この人、僕を見て、笑った…僕に、何かあるんだろう。
自惚れとも考え過ぎとも言う人もいるだろう。現に自分もそう思った。だけど…この時ばかりは…。
「……はっ!」
幾筋の風が目の前の的を切り刻んだ。今度はちゃんと見えた。風の刃が4つ。
それを見て…タウラスが酷く驚いた顔をしていた。陛下もやっぱり感心したような顔をしている。
「君、宮廷魔術士になる気はないか?」
「はぁ?」
突然すぎて出てしまった間の抜けた返事。アバロンまで来て何もせずにいるのもどうかと思った。
「君ぐらいの内ならそんな多忙でもないですよ。返事は何時でもいい。
欲を言えば、どちらいせよ早いほうが良いね。」
色んな会話をした。僕の両親のこと、リオルのこと、ソウジとクラックスと陛下と…
雑談の後はいくつか、初歩の術を媒体を使わずに行使する方法を教わった。
陛下はもう自由時間が終わってしまったらしい。
クラックスが居なくても限度を超えると大臣がうるさいのだそうだ。
「生命の水は自分で?」
「うん。家の倉庫漁っていたら媒体が出てきた。」
「その媒体は?」
「…解らない…媒体無しでも出来るようになって、多分、引っ越しのどたごたのあいだにさ…。」
「おやまぁ…記念にでも取っておけば良かったのに。」
「そりゃ惜しいことしたね。」
僕は翌朝まで考えさせてくれと言った。しかし答えはもう決まっていた。
24時間にも満たない時間はそれを覆せるはずもなく過ぎていった。
タウラスが別れ際に教えてくれた。あのピリピリとした感覚は
イーリスとモールが生まれながらに持っている術の力の反発を感じ取っていたからだと。
それはとても稀なことがそうな。陛下もタウラスも知っていたわけだね…。
今日僕が使った媒体にはタウラスがあの感覚を遮断する術を掛けてそのまま貰った。
その日の晩。エアは一晩中部屋に戻ってこなかったが、僕は眠れなかった。
聞こえてきたのは綺麗で、だけど哀しくなるような、空に舞い上がりたくなるような、
そんな音色が響き渡っていた。エアはそれを一晩中聞いていたし、
僕も一晩中聞いていた。その主の姿は見えなかったが、多分タウラスだろう。
布団の中に入っても気になって眠れなかった。
僕は、その日大人の男の人が泣くのを初めて見た。
小さい頃、両親に引き取られる前のことを思いだしていた。
何となく、いなかったかなぁ、と思って、タウラスに似ていた誰か。
曲を聞いていて、哀しくなったからだとか、お子さんが生きていればとか、思ったのかも知れない。
しかし…自分も他人も一番納得させられる理由はやはり、興味本位、だったのだろう。
ちなみに、稽古を終えたリオルが一日中僕を捜していたことを知るのは、また別な話。
翌朝、僕はタウラスに返事をするために宮殿の前の兵士に掛け合っていた。
覆ったより早く出てきたタウラスに返した答え。
当然…YESに決まっていた。
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