それから…サジタリウスの生活は…さほど変わっていなかった。
強いて言えば学問の時間に術の勉強をするようになったぐらいであろうか。
それまで将来のことなど考えても居なかった彼は無難に親の職を継ごうかと、
いささか子供らしくない道を早速にも選んでいたのであった…が。宮廷魔術士。彼の前に思いも寄らぬ道が用意された。
彼は迷うことなくその道に足を踏み入れたのだ。
妥協からではなく、彼自身が望んで…。
彼の手には親の遺留品である分厚い医学書の代わりに少し薄い魔術関連の本が抱えられた。
一応医学も少しは勉強しているのだが、やはり本分は魔術。
親の遺品だったその本もやがては埃を被っていった…。
朝起きて、宮廷に出向いて、勉強して、修行して、そしてちょっと城内を見て回る。
ちなみに最初の驚きは謁見の間の前にいるディアナとハンニバルの黒コンビだったりする。
はっきり言って迫力ありすぎですこの夫婦。(現に初めて見たときすくみ上がって動けなかった)
そんな日常である。気が付けばリオルも見習いとしてちゃっかり軽装歩兵に入隊。
サジタリウスにとって、宮廷魔術士を志すに当たって失う物は何もなかった。
ただ…強いて言えば…。
「あら、サジタリウス君今日は早いのね。」
「あ…サファイアさん…おはようございます。」
一瞬。本当に一瞬ビクッと背筋が震えた。一礼して逃げるように…いや、本当に逃げていた。
今更に…一回だけ陛下に指摘されはしたのであるが…
実は…女性が恐い。何故だろうか?
原因を突き詰めればやはりあの日に生じたトラウマという結論にたどり着いてしまう。
何故今まで気付かなかったのか?何故陛下は大丈夫だったのか?
思えば入隊までの数日彼女以外の若い女性(年上)とまともに接触したことがなかった。
結局、無意識のうちに避けていたのであろう。それ以外に結論が浮かばない。
今さっき挨拶したサファイアは、宮廷魔術士のなかでも大人びていてスタイルが良い。
少々不躾な男共の目を釘付けに出来るぐらいである。
もっとも…そんな目つきでジロジロと見たのがばれれば輪郭スレスレに乱れ突きなのだが…。
術士であると同時に小剣の名手。それが彼女である。
本人曰く術以外に何か出来た方が色々と役に立つのだそうな。
一度自分も彼女に教えを請うことにしようか考えたが結局足がすくんでしまい断念。
どうも色気、と言う物にすっかり恐怖心が芽生えてしまっている模様…。
偶然捨てられていた春画の類を目にしたとき、顔を赤らめるリオルの横で自分は青ざめていた。
ちなみに同じ女性でも色気とは少々縁の遠い(失礼)エアやフォックスは平気だったりする。
陛下は何故平気なのだろうか…?ここ数日の付き合いで免疫…と言うのは無いだろうし、
クラックスとの追い掛けっこ見ていて大人の女性…に見えなくなったとか…
やっぱり…命の恩人…だからだろうかとか…?
残念なことに精神科は親の専門外だった。
等々…暇になると考え込んでしまう今日この頃である。
だからといって意図的にに女性を避けようとは思わなかった。
主だった理由として、タウラスには良く自主訓練に付き合って貰ったその時に、
女官達の間で「いやん♪」な噂が立ったからなのであるが…。
やはり女性恐怖症など格好悪い。よって慣れてやろう…と、頑張ってはいる物の…。
「イ…イザベラさん…。」
やっぱり何処か声が震えていた。で、結局見かねた帝国猟兵イザベラはエドワードにパス。
翌日一日に限りまた違う「いやん♪」な話で女官たちの会話は盛り上がったとか…。
僕はそんなに「いやん♪」なネタにしやすいか腐女子共?(答:しやすいです・笑)
「よ。サジタリウスがここに来るの珍しくないか?で、何の用だ?」
「弓…教えて欲しいんだ。」
「…だったらわざわざイザベラさんで無くても良かったろうに。エアとかさ?」
「………だってさ…。」
男性陣数名にはサジタリウスの女性恐怖症は周知の事実である。
「お前…偉いよ。本っ当に偉い。俺なんて嫌いなモンとかは未だに避けて食べる。」
「……味覚とはまた違うと思うんだけど…
僕も未だに慣れようとしてるけど嫌いな物食べると気持ち悪くなるし。」
エドワードは、いやそれアレルギーだろと突っ込みたかったが止めておいた。
「ま、いいや。弓の経験は?」
「僕の育った孤児院がサバンナの方にあって、そこで少しだけ。」
慣れた手つきで矢をつがえる。エドワードは驚いていた。
「お前…孤児だったんだ。」
弓を引く。子供用なのか簡単に引けた。
「うん。往診に来ていた父さんが引き取りたいって言ってマイルズに、
その後ミラマー……で今に至るってわけ。」
矢を放つ。的には当たった。
「サバンナからステップ越えて…んでアバロンねぇ…。ほぼ領土横断だな。」
「生まれがヤウダかサラマットだったらホントにそうなるね。」
もう一本の矢をつがえる。次の矢は後少しで的の中央だった。
「……へぇ…上手いじゃないか。魔術士にしとくにはもったいなくないか?」
「…でもまだ実戦には使えないよ。やっぱ術の方がね…。」
風を動かす。的の周囲に4つの傷が同じ深さで入っていた。
「……器用な奴……そういえば、何で弓を?」
「ん…まぁ、サファイアさんからの受け売りかな。」
「……ああ、なるほどな。」
それからしばらくして…やって来ましたクリームヒルト陛下。
「あら、何やってるの?」
「あ…陛下。」
ちらりと弓に目を向けた。
「ふぅん…。エドワード、ちょっとそれ貸してくれる?」
「え、はい。構いませんが。」
さすがは弓を主とするアマゾネスと言ったところだろうか、その姿勢は均整がとれていて…。
綺麗だったというのは言い過ぎだろうか?
鏃(矢じり)の先が、少しぶれたように見えた。そう思ったときに…。
普通に矢を射っただけでは有り得ない音が聞こえた。甲高く空気を裂く音。
見れば矢を射った先に並んでいた的が一つ残らず…砕けていた。
「す…凄い…。」
「……イ…イヅナ………陛下いつの間に…?」
「たった今♪」
やっぱり凄い人だと思う…。
「じゃ、頑張ってね。」
そう言って去っていく陛下。町に行く時間と宮廷うろつく時間があるとか…。
「剣と槍使わせるともっと凄いらしいぜ…にしても…あーあ、的直すのだってタダじゃねぇのに…。」
新しい的を立てつつぼやくエドワードの声も耳はいるはずもなく…。
新しく立った的を確認しておもむろに矢をつがえる。
何を思っていただろうか…?…覚えていない。
ただ…何か確信に近い物があって…矢を射った…そしたら…。
目の前には矢より明らかにふた周り以上大きな穴があった。
『…………………………………嘘ぉ…。』
目を丸くする二人。一人は突然目の前をかすめた矢に、もう一人は意外すぎる結果に…。
「お前猟兵兼任してみろよっ!!」
「……忙しくなりそうだからヤダ。」
とかなんとか…騒ぐ二人。それを見ている人影があるのも知らずに…。
「風術と…弓の名手…ですか。」
サジタリウスがイザベラの元から出てきてから、ソウジは暫くつけていた。
「ソウジ殿、おっしゃりたいことは解りますが…。」
その横にはタウラスもいた。もっとも、表情と裏腹に声からは穏やかさが抜け、視線は冷たくも見える。
「あ、気分を害されたのならすみません。ただね…条件は揃ってるなって…。」
「……彼女が住んでいたのはヤウダだ。サラマットは…赤子を連れた女性が簡単に、
それも人知れず通れるほど甘い環境ではない。」
「…そう……なんですか。」
「…第一似てない。私にも、彼女にも…。」
「私の家系もみんな健康ですよ〜♪」
「……お前は別だろ…。」
その直後ソウジが口元に運んだ手が真っ赤になったとかならなかったとか…。
サジタリウスが宮廷魔術士となってから…およそ半年が過ぎた。
入隊直前にアバロンを離れていたクラックスもとっくの昔に戻ってきていた。
その頃…タウラスの過去を知る者の間に、小さなさざ波が立っていた。
理由はともあれ、皇帝が連れ帰った少年。
12歳の若さで宮廷で通用する風と水の術士。
猟兵団が欲するほどの素質を秘めた弓術士。
そんな少年が、権威と呼ばれるほどの水術士と、
風と共に生まれ、一族の殆ど全てが弓の達人とされるイーリスの間に産まれた子と、
姿を重ねてみる者が多くなるのも、致し方のないことだった。
そして何より、二人の仲の良さこそがその噂の最たる原因であった。
女官達の噂も、やがて「いやん♪」よりはその方向に広まっていった…。
一方…その噂の中心となっている二人の日常には…さしたる変化は見て取れなかった。
サジタリウスの方は最近は宮中に泊まり込むようになった。しかしそれ以外に変化はない。
朝起きて、朝食を取り、術を学び、魔力を高め、弓をたしなみ、
そして友人のリオルとかけずり回ったり語らいながら、
皇帝の暇つぶしの散歩の邪魔が入らぬよう見張りをしながら、
それは変わらず過ぎていった。
タウラスも同じである。エアと再会し、恋人の死を告げられて以来、
全てが寝静まる少し前に、鎮魂歌とも子守歌とも取れる調べを奏で、
若い術士達の指導をし、自らもまた己の魔力を高め、時折恋人を思ってか物思いにふけ、
帝国兵の中でも騒がしい部類に入る者達をたしなめ、
思わぬ邪魔者の出現に舌打ちする後輩をなだめ、
未来ある少年の修行の成果を確かめながら、
それは変わらず過ぎていった。
今日も今日とて変わらぬ日常は終わりが近づきつつあった。
そして明日もまた似たような、それでいて幸せな日々が始まるのだ。
「へぇ…弓、上手くなりましたね。それにしても…負担じゃないですか?」
普通の12歳に術と弓の修行をいっぺんにと言うのは流石に負担だ。
間に休息を入れていたとしてもそうである。
「…いや…案外そうでも無いんだ。ま、小さい頃は玩具だったからかもな。」
「そう…ですか。」
「…噂、気にしてるのか?」
僅かな口調の変化。ここ半年で、随分慣れてきたのだろう。タウラスはそう思っていた。
「そう見えます?」
笑って答えるタウラス。無言で矢をつがえるサジタリウス。
「…なんとなぁく…ね。」
矢を放った後には、数カ所に置かれた的の中心を矢が射抜いていた。
「…バラージシュート…ケチュワにでも?」
「いや…陛下。見よう見まねだけどね。」
もう一本矢を放つ。それは的の破片を吹き飛ばす程度に終わる。
「………イヅナは流石に難しいか…。」
バラージシュートに続いてイヅナまであっさり出されたら帝国猟兵一同失神すること請け合いである。
「まぁ…弓の技術なんて、遺伝する物じゃないですし…
遺伝したとしても君の場合間違いなくナディールより上ですね。
彼女、そんなに器用な人じゃなかった。」
嘘だ。彼女は一族でも随一の腕前だった。何故否定する?
「ふぅ…ん。所でさ、今日は術の修行もうしないのに何でいるの?」
「…え…いえ…ちょっとね。
しかし…それだけの腕があれば猟兵部隊に籍を置いても十分通用するな。」
「…鞍替えする気はないよ。」
「…最近ではサファイアに小剣の稽古もつけてもらっているそうじゃないか。」
「……陛下の、力になりたいんだ。何か、恩を返したい。」
「だから?」
「うん。弓なら魔力が尽きても遠くの敵を攻撃できる。
接近戦が出来る武器も必要なときがあるだろうし。」
「守る気満々ですね。」
「…立場が逆にならないようにしなきゃ。今度は…って、それぐらいね。で、本題は?
今まで術の修行以外でこんなに長くいなかった。」
その口調は鋭かった。空が曇る。まだ明るかった筈の空は、とたんに薄暗くなった。
「………ま、言おうと思って止めたことですが…私の…養子になる気は…あるかい?」
養子。幼い頃欲していた物だが、冷め切った義理の両親を知ってからは、そうでもなくなった。
確かに、タウラスは尊敬出来る。養父としては申し分ないとも思えた…が。
「やっぱり、噂気にしてる。そんで次はお嫁さんでももらうの?簡単にそんなこと出来るのか?」
「…手厳しいね…そう、噂を気にしてたのも本当だ。君に両親が居ないことを気にしていたのもね。」
「…やっぱり重なる…か。入団前夜に、タウラスに似た子が孤児院にいなかったか、
記憶を思い返したこともあるけど…ナディールさんがいたのはヤウダだ。
今のサラマットは赤子を抱えて抜けられるような場所じゃない。」
「…ですよね…そう思って言うの止めたんです。」
「それに…今、結構満たされているんだ。孤児院にいたとき欲しかった物。
引き取られてから欲しかった物。ここには、全部あった。」
「全部…ですか。」
「まだまだ欲しい物はある。それを得るための道も手段もここにはある。」
「……よかった。君は今、幸せなんだね。」
「…そうだね。ずっと続いて欲しい。だから自分に出来ることがしたい。
出来ることを増やしたい。だから…力が欲しい。」
しとしとしとしとそそぐ雨。しとしとしとしと霧雨は、
土の匂いを巻き上げる。変わらぬ日常香らせる。
しとしとしとしとそそぐ雨。後悔の言葉と言われても、
しとしとしとしとそそぐ雨。何気ない時は…
結構幸せな物で…かけがえのない物で…無くしたら…二度と戻ってこない物で…。
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